業  種:
  • 教育

事業者名:学校法人マリア学園 聖ヨゼフ幼稚園

幼児教育現場から見えてくる大切なこと

学校法人マリア学園 聖ヨゼフ幼稚園は、スペインの宣教師ゼンドッキス神父によって創立されました。

聖ヨゼフの不思議なチカラに助けられ神父は伊那谷にたくさんの幼稚園保育園を作りました。聖ヨゼフに感謝し神父はこの幼稚園に聖ヨゼフの名前をつけました。

昭和37年スペインの決して豊かでない方々の寄付によってできた幼稚園です。

 

通園バスは、8:30頃に到着します。

当園は、カトリックの幼稚園ですので御祈りから始まります。

一日の始まりに、心を静かにして一日を穏やかに過ごせるようにと、

職員、子どもたち、そして保護者の方々も一緒になってお祈りをします。

 

この園の一番の特色は、縦割り保育をしているという点。

4クラスある中、どのクラスも3歳4歳5歳の混合になっています。

クラスの中の家族的な温かみをとても大事にしているこちらの園では、年中、年長のお兄ちゃんお姉ちゃんが年少の子どもたちを一生懸命お世話します。

「こうした縦割り保育の生活を経験した子どもたちは、今度、自分が年中、年長になった時には、年少の子どもたちの面倒を自然にみてくれるようになります。お兄ちゃんお姉ちゃんたちも、かつてそんな風に面倒をみてもらった経験があるので、うまく下の子を導くことができるんです。それが、代々受け継がれているんです」

 

そう語るのは、園長先生の倉科正豊さん。

京都のご出身で、関西弁のたいへん気さくな先生で、笑顔が印象的。

この頃は、運動会の練習もあり大賑わいと話されます。

「運動会の時などは、年齢による発達の違いがありますから、それぞれの年齢に分けて練習を行います。かけっこでも距離が違う。コースが違う。お遊戯も並び方が違うなど、年齢を分け、出来ること出来ないことをちゃんと捉えて保育にあたっています」

年少の子には、お兄ちゃんお姉ちゃんたちの練習風景を見せてます。

わぁ~すごいなと、思ってもらう様にしているのだそうです。

「運動会の練習をしていても、年少の子の中には走らない子もいるんです。お遊戯をしても動かない子もいる。それも、その子の個性なんです。はじめての運動会で、あれもそれも出来なくていいと思うんですね。これから、年中、年長といろいろ経験していく中で成長していくんです」

 

「うちの子は、下の子に乱暴してるんじゃないかと心配するお母さんがいますが、幼稚園ではそんなことはないんです。年少の子どもに物を渡す時でも、はいどうぞ!と渡しますよ。と言うと親は驚くんです」

園での集団生活の良いところは、こうした場面で現れてくると言います。

 

「うちの子は他の子たちと仲良く遊んでますかと心配するお母さんの声も多いですね。お友達と上手に関係を築いているか?その心配は分かるのですが、もっと好きなことを思いっきりやらせてあげる。子どもの興味を引き出す。そのことの方がずっと大事だと思うんですね」

お母さんはおうちの中で、おひさまでないとイケナイ。お家は、子どもたちにとって一番に安心して安らげる場所でないとイケナイと言います。

「お母さんが、笑顔にならないと、子どもは安心できないですよ。心配ばっかりしてても良くなっていかない。何かあったら連絡して相談しますから、それがない限りは、そんな心配なんていらないですよ」

そんな風に、お母さん方に伝えるのだそうです。

そんな安らげるお家にしてもらうためにも、この幼稚園が、子どもたちにとってもお母さんたちにとっても、安らげる場所にしたいと言います。

 

「子どもたちには、生きてる楽しさをいっぱい感じてもらいたいんです。子どもたちは、みんなそれぞれ。色んな個性があっていいんです。大人に成長したときに、幼稚園の頃楽しかったよねって言ってもらえる。そんな幼稚園をつくりたいですね」

「親は誰もが、きちんとなんでも出来る子に育ってほしいと思うものですが、焦らず、ゆっくりと、余裕を持って、子どもたちの成長を見守って欲しいと思います」

先生たちの間でも、こうした話をすると言います。

「部屋で静かに遊んでいる子に外で元気に遊んで欲しい」

と、ある先生が言いました。

「え!?外に出て遊ばないのは、アカンことなん?別にいいんじゃないって。大人から見たら、こうなって欲しいという子どもの理想像があると思います。でもそれは、どうしても窮屈な思いをさせることになってしまいます。それぞれの個性を認めて受け入れてあげることが大事なのではないでしょうか」

 

大人の側が、こういう子になって欲しいという想いは押し付けるものでなく、大人たちがどう投げかけて行くかが大事。

「まずは、大人が楽しんで見せることです。『先生たち面白いことしてる』って。すると子どもたちは、興味を持ってついて来てくれると思うんですよね」

そんな風に子どもたちの関心を惹きつけるのが、我々の仕事だといいます。

 

子どもたちの姿を見ていて、ちょっと心配だなって思う子は居ますか?

「はい。先生のお手伝いが大好きな子どもっているんですよね。先生側から見れば、しっかりしているし、すごくいろいろ気が利くし、偉いなって思うんです。でも、ちょっと心配な面もあります。」

[どこか自分の中で満たされない部分を、お手伝いとか、気を利かせることで自分を表現しているのだと思います。そういう子には、もう少し子どもらしさを出してもらいたい。子どもの頃には、もっと自分の世界を持って欲しいと思っています」

「でも、せっかくお手伝いをしてくれて、気を利かせてくれている子どもに、それを言葉で伝えてしまうのは、その子を傷つけることになってしまいます。そういう時は、先生たちと話し合って、その子の様子を注意深く見守ります」

 

普段からよく褒められる子どもって、ちょっと不安に思うんです。

いい子だって思われることが、義務のようになってしまって自分を抑え込んでしまう。そうしたことが習慣づいたまま大人になってしまうと、ありのままの自分を受け入れられなくなってしまうのではないかと心配になります。

「そうですね。極端に言うと、ふざけが通用しないとか、冗談が通じないっていうか、この時期ってアホなことして面白い子ってやっぱり居てるんですが、そういう子は、いろんな局面を受け流していける強さを持っています。反対に真面目で一生懸命で褒められることに慣れている子どもは、一回の失敗に対してすごく落ち込んでしまう傾向がありますね」

 

幼少期の頃には、たくさん間違えたり、失敗したり、転んだりしますよね。

そして、転んだら自分の力で立ち上がる。

そうした事を幼い頃から経験しておくことは、とても大切な事と感じます。

「まったくその通りだと思います。遊具に例えると、子どもが遊ぶときケガをさせないように大人たちの見守りは絶対に必要なものですが、とは言ってもケガをする時もあると思うんです。そういう失敗から、次に遊ぶときにはケガをしないように工夫して遊ぶようになるんです」

 

つまずくことに慣れる。

転ぶことに慣れる。

そして起き上がることを習慣づける。

工夫することを知る。危険を回避するチカラを身に着けてゆく。

痛みを覚え、失敗から起き上がれる子どもは、後に同じ痛みを持つお友達の痛みに寄り添える優しい子どもに育っていくと話してくれました。

 

「今から27年前、京都の保育園で勤め始めた頃の話です。僕の目の前で、遊んでいた子どもが転んだんです。僕は、その子をすぐに起こそうと駆け寄りました。すると、園長先生は『行くな!!』と言うんです」

「転んだその子は、痛そうにしながらも起き上がろうとしていました。そして、自分の力で起き上がった時に、両手をひらいて迎え入れぎゅっと抱きしめると、その子はわぁっと泣き出しました」

「一生懸命自分で起き上がろうとしている子どもを、ちゃんと見守ってやれ!そして、自分の力で起き上がった後に、よしよしと頭を撫でてやる人が居ることが、とても大事なのことなんだよと言われました」

その時の出来事を、お母さん達にもよく話すのだそうです。

子どもが転んだ時に、すぐに起こしてやろうとか、すぐに大人が何とかしてやろうとするのは少し違うと思いますよと伝えるのだそうです。

 

「自分の力で起き上がることが、どういうことなのか?僕も、周りのたくさんの人たちに、その大切さを教えてもらいました。お母さんたちも、こうした話を聞きながら気付き、少しずつ親になっていくんだと思うんです」

「本の中で、とても心に残ってる言葉があるんです。心理学者の河合隼雄さんの言葉で『傷つきもせずに心が育つか!!』というのがあるんです。その言葉に触れたとき、ああまったくその通りだって思いました」

そうした気づきを、他の先生たちとも共有します。

そうした話は、廊下の立ち話などで、世間話のように話し掛けるのだそうです。

「子どもたちが言うことを聞いてくれなくて困っている先生に、『子どもたちの声を聞かないで、自分ですすめてない?』と声を掛けたことがあります。すると、その先生は『あっ!』とか言って、その場で気づけたりするんです。職員会議の中で、そうした話をすることもありますが、日常的にこうした話をすることで、風通しのいい園にするようにと心掛けています」

職員同士だけではなく、お母さん達にもこうした話をよくすることで、お母さん達との間も風通しが良い関係が保たれてると言います。

朝夕の登降園の際には、何か話したそうにするお母さんがいると、そうしたお母さんとは、極力話しをするようにしていると言います。

 

先ほど27年前に、保育園に勤めていたお話が出ましたが、こうした幼児教育の仕事に就くきっかけは何だったのでしょう?

「大学を出た時には、通信販売の情報システム部に勤務していて、通信販売のプログラムなど作っていました。ものすごい勢いでパソコンが普及し出した頃です。その仕事は、一日中パソコンを相手の仕事でした。パソコンの前に張り付いて、ずっとこうして仕事をしていかないとイケナイのかと思うと毎日が辛く感じました」

そう思ってた頃、卒業した同志社大学のゼミの集まりに誘われたと言います。

ゼミの先生に、今の仕事について聞かれ、「もう、ほんまにつまらないし、毎日コンピューター相手に仕事して、もっと人間相手の仕事がしたかったです」って愚痴ったのだそうです。

 

「どんな仕事がしたかったんや?と聞かれて、昔から子どもが好きやし、子ども相手の仕事とかですかねって話をしたら、ゼミの先生の知り合いの牧師さんが園長をされている保育園があると言って紹介してくれたんです。今だから言えることですが、会社には、朝から熱があって具合が悪いんです・・・と言って、ずる休みして京都にあるその保育園に行ったんです」

そこは、障がいのある子どもや国籍の違う子どもたちがたくさん居る賑やかな保育園でした。

みんな本当に、自由気ままに遊んでいるんです。

とても不思議な印象が、今も残っていると言います。

「園におじゃまして、いろいろとお話を伺おうかと思っていると、いま子どもたちがマラソンしてるから、一緒に走ってきたらどうやと言われたんです。言われる通り、鴨川をぐるぐる走って回ったんです。その後、保育園の中でしばらく遊んでいました。すると園長先生が、君の話は聞いているよと話しかけてきました。そして、こういう仕事がしたいのかと聞かれました。今日は、本当にすごく楽しかったですと言いました」

すると園長先生は、『君が真剣に、この仕事をしてみたいと思うなら、来ていいよ』と言われました。当時、なんの資格も持っていなかった倉科さんでしたが、それなら今から取ればいいじゃないかと言われました。

じゃ、お願いします!!とその場で即答されました。

それまでの仕事は、年度末で辞職し、その保育園で勤めることにしました。

そして保育園に勤めながら国家試験を受け、資格を取らた倉科さん。

当時は、保育士の資格ではなく、保母資格でした。

 

「その保育園で7年勤めました。勤め始めて4年目に、同じ保育園で勤めていた保母さんと結婚したんです。妻の実家が、長野県でした。子どもが生まれ、子育てをするなら自然豊かな長野県がいいなと思いましたが、妻の実家の方に行っても、なかなかこういう仕事はないだろうなと思っていたんです」

当時、伊那に聖母保育園というのがありました。

ここは聖ヨゼフ幼稚園と同じ系列の園で、そこの園長先生に会いに行きました。

男でも勤められる長野県内の保育関連の仕事はないかと相談しました。

その時、男の保育士なんて聞いたことがないと言われたそうです。

 

「その年の秋に、聖母保育園の園長先生から電話がありまして、辰野町で、募集をかけている所があるんだけど来てくれないかって言われたんです。えっ、いいんですか?僕は幼稚園の資格持ってないですよって言ったんです。そしたらまた、来てから取ればいいからって言われたんです。それが30歳の頃です。それでこの幼稚園に勤めるようになりました」

姉妹園が駒ケ根や飯田にあり、そこでの教育実習に通いながら、京都の佛教大学の通信教育学部で、幼稚園教諭の資格を取られました。

前園長の神父さんも高齢で具合も悪くなってしまい、ここの学園の理事長から後任として園長をやってくれないかと頼まれたと言います。

 

「園長になると現場に出れなくなるから嫌だったんですけどね。やる人が居ない状態だったので、仕方なく引き受けました」

そう笑いながら語ってくれました。

そのくらい現場に居たい。子どもたちとの触れ合う時間を大切にしたい。と思う園長先生がトップに立ってくれるということは、職員の皆さんにも、お母さんったちにも嬉しい事なのではないでしょうか。

 

「伊那市では10年以上前から、パパズ絵本プロジェクト伊那というのに取り組んでいます。お父さんたちだけの絵本の読み聞かせをしているんです。絵本ライブって名目で、図書館や子育て支援センターや小学校、幼稚園、保育園の日曜参観などで活動しているんです」

今の時代、絵本の読み聞かせは子どもたちにだけでなく、

大人たちにも必要と言います。

「絵本の良さは、テレビやビデオと違って、生の声に触れ合えることと、絵が動かないところが良いところなんです。子どもたちの想像力の中では、絵本の中の絵は動いてるんですよね。子どもたちの想像力を育むには、絵本ってものすごくいいんです」

絵本は、大人が子どもに読んであげる本です。

絵本を読んであげる時間は、一生の間にほんの僅か。

そんな我が子の子どもの時間を大切にして、読み聞かせをして欲しいと言います。

 

「子どもの想像力を育むだけでなく、親子の触れ合いにもなります。この世にある絵本のほとんどはハッピーエンドなんです。お父さんやお母さんの膝の中で、いろんな冒険をして、嗚呼、良かったねって言える世界が絵本の中にはあるんです」

今、子どもばかりでなく、大人たちにとっても絵本に触れる時間の必要性を感じます。

大人たちが子どもの目線になって、触れ合う時間や一緒になって、縛りのない想像の世界に飛び込むことは、大人たちにとっても大切な時間になるのではないでしょうか。

「ほんとうにその通りで、今大人たちの間では聞くチカラがものすごく衰えてきていると感じるんです。子どもたちは絵本を読み聞かせる間、一言一句聞き逃さないように一生懸命聞くんです。大人たちが、絵本を読む時間を10分持つだけで、子どもの聞くチカラはものすごく増します」

一方、大人たちの世界では、スマートフォンを触る時間が多い。

電話で話す機会は少なくSNSでのやり取りが主流で、目で認識することばかりです。

「最近のテレビでは、話してる内容のほとんどがテロップで流れている程です。僕たちが子どもの頃は、そんなことはありませんでした。今の大人たちは、見て理解することばかりです。でも、子どもたちには、聞くチカラを養ってもらいたいんです。そのためには、大人たちが生の声で話す、絵本の読み聞かせはとてもいいんです」

こうして発せられる幼稚園という現場からからのメッセージは、小さいお子さんを持つ親ばかりでなく、多くの大人たちに届いて欲しいと思います。

幼児教育の現場から垣間見えてくる大切なことが、たくさん詰まっているように思えてなりません。

 

「今までは、行事などが重なっていたこともあり、ほたる祭りに参加することはなかったんですが、職員からの提案で、今年は踊りで参加したんです。すると、卒園生たちが先生先生って声を掛けてくれるんです。そんな中で、また幼稚園に遊びに行きたいと言ってくれるんです。それは、ほんとうに嬉しいことです」

それは同じ場所で、ずっと幼稚園をしているならではですよね。

幼稚園を卒園してからも同じ場所で長くやっているからこそ、また遊びに行きたいと思ってもらえる。その人の居場所になる。それは、とても大切なことだと感じます。

「いつでも、また遊びにおいでって言うんです。成長して大きくなった姿を見ても、僕にはあの頃の小さかった姿が重なって見えるんです」

時折、目に涙をためながら、子どもたちへの想い、幼稚園の在り様を熱心に語ってくださいました。

現代人は、自分の居場所がなく孤独感に苛まれている人たちが多いと感じます。

そんな中で、こうして誰かの居場所であり続けている聖ヨゼフ幼稚園は、この町にとって大切な場所だと思わせてくれました。

  • 会社情報
  • 会社情報
    事業者名学校法人マリア学園 聖ヨゼフ幼稚園
    所在地〒399-0428 長野県上伊那郡辰野町大字伊那富279-1
    電話番号0266-41-0633
    FAX0266-41-0307
    E-mailseiyozehu@grace.ocn.ne.jp
    URLhttp://seiyozefu.com/
    設立年月日昭和37年9月1日
    全従業員数11人(内、男性2人 女性9人)
    主な業種その他
    事業内容幼児教育
会社情報
事業者名学校法人マリア学園 聖ヨゼフ幼稚園
所在地〒399-0428 長野県上伊那郡辰野町大字伊那富279-1
電話番号0266-41-0633
FAX0266-41-0307
E-mailseiyozehu@grace.ocn.ne.jp
URLhttp://seiyozefu.com/
設立年月日昭和37年9月1日
全従業員数11人(内、男性2人 女性9人)
主な業種その他
事業内容幼児教育
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